政令指定都市になる>>
大阪府堺市。大阪市の南側に隣接する人口80万人の都市である。
最近、この堺がにわかに騒ぎ始めている。政令指定都市になるというのである。相当嬉しいのだろう。
千利休や与謝野晶子まで持ち出して「いよいよですね」などというポスターをあちこちに掲げている。
しかし、よく考えてみれば不思議な騒ぎ方だ。明治時代には、現在の奈良県にまで渡る広大な土地を
取りまとめる「堺県」だった堺。そんな堺が、政令指定都市になるということぐらいで騒いでいるのだ。
けなげである。過去の威光を顧みず、県だった時代のことなど持ち出さず、単純に政令指定都市への昇
格を喜んでいるのである。
騒ぐことのない堺>>
思えば堺は昔から「過去にすがらない街」だった。茶の湯の大家、千利休が庵を結んだ場所は、いまやどこにでもあるメッシュフェンスで囲われた単なる空き地として野ざらしになっている。かの与謝野晶子が生まれた生家跡は、道路脇の植栽帯に埋もれるような碑によって示されるのみである。千利休にすがらない。与謝野晶子を担ぎ出さない。過去の偉人を褒め称え、博物館や記念館を作ってしまう自治体がある。油断すれば堺だって「千利休博物館」や「与謝野晶子資料館」を作ってしまう危険性があったはずだ。しかし、堺には確固たる意思が存在した。過去の偉人は過去のもの。我々はこれからも過去を凌ぐ偉人を輩出する自信がある。千利休の庵跡や与謝野晶子の生家跡を過度に祀り上げる必要なんて無い。むしろ、今まさに育ちつつある現代の利休や与謝野に投資すべきである。そんな気概を感じるほど、千利休庵跡や与謝野晶子生家跡はみすぼらしい。
かつて百万石の城下町だったことをウリにする街がある。利休がお茶会を開いた場所に記念碑を建てる街がある。与謝野晶子が歩いた階段に彼女の詩を刻む街がある。しかし堺は騒がない。表千家、裏千家ともに聖地とあがめる千利休庵跡を放置する。世の歌人が一度は訪れたいと思う与謝野晶子生家跡を道路の植栽帯に埋没させる。そんなものを担ぎ出してもしょうがないのである。「騒がない街」堺。僕らはそんな堂々とした堺に惚れ込んでいるのである。



